●自殺の動機について●
少年少女の自殺が社会的な大問題となっている。
親も、教師も、自治体も、国も、大慌てしている。
こんな筈ではなかった。なんでこうなるの?
時代が悪いのだ。
いや、教育が原因だ。
などなど、
様々な『表象的な』説明や解説がマスコミをにぎわしている。
しかし、、
しかし、これらの解釈には大きな事実がスッパ抜けている。
最重要であり根源であるある知識が抜け落ちている理論をどれだけ積み重ねようが、
何度検証しょうが、国民会議を開こうが、、、、無駄である。
ここに結論を書けば、
青少年であろうが中年であろうが、
その自殺の動機は『人間の本質の一側面そのもの』なのでだ。
人間そのものが生れ落ちて死に至るまで免れるのが容易ではない『本能の本質』なのであるから、
である。
、、、、ということは、
『自殺の動機』は「事物の現象」をただの契機とした『本能的本質の行為』なのであって、
他人が、教師が、親が、本人をいわゆる道徳、信条、宗教の教え、などで説き伏せようとしても
全くの無駄に近い結果となる。
●自殺を考えない生き方を勧める●
そもそも、人の一生は、生れ落ちた時から苦悩、苦痛に阻まれる。
ばい菌から、気温から、湿度から、汚染から、騒音から、命を狙われている、と見えないだろうか。
何とか学校に上がっても、競争、成績、体格、性質、運動、能力、の障壁が立ちはだかる。
社会に出れば、社会そのものが困難と敵意に満ちた世界である。
まさに、『死』と『生』のたゆまない戦いの連続、それこそが生きる姿なのである。
そこへ持って来て、本来、自分の味方であり支援者であるべき家族、夫婦、親子関係までもが、
皮肉にも様々なストレスの元として機能し、それらも自分への障壁と感じられる。
ここまで書くと、のんきな博学者や苦痛をさらりと切り抜けて来た経済的にも精神的にも豊かな文化人は嫌
悪を感じられるだろう。
しかし、根源的な自殺への逃避行動の理由は前文に書いたように明白なのだから、
具体的な「せめて自殺を減らす」ための努力の目標は、
『自殺を考えない生き方』をお勧めするしか無いのだろう。
これは、なかなかの難題ではあるが、
前文の『人間の本能的な本質』をよくよく理解すれば可能な事となる。
ついでながら、青少年の凶悪化、非行化、無知、非常識、だらしなさ、も実は同じ根源から来ている。
●質問・人間は生きたい様に生きられるか●
自由に、気ままに生きる、と聞けば
いいなぁ、羨ましいなぁ、そうしたいなぁ、、、とほとんどの人は憧れる。
しかし、しかしだ。
ここにも『人間の本質』をまるっきり認識していない甘さがある。
人がすべての束縛から解放されたとしたら、これは恐ろしい世に突入するしかない。
過半数の人は自殺するだろう。
残された人は精神病理のまま動物のように生本能と性本脳に捉われるだけの動物と化す。
そんなバカな、人間はそんなに愚かではない、と多くの方は思われるだろう。
しかし、人間などたいして賢い生き物ではないのだ。
数学、科学、化学、経済、語学などが出来るという意味での「賢い」とは次元が違う。
『人間という優れた脳を持ち合わせた動物の不幸』が理解できないバカという意味である。
ここで、私のこの理論の原典は明かさないが、かの有名な昔の哲学者の中に答えがある。
●貧困が世間を物騒にしている●
経済的に二極化が進行し、大多数の負け組みの中から続々と犯罪者が生み出されるだろう。
富裕層はそれこそ四六時中ガードマンに囲まれた生活に不自由な思いをせざるを得なくなるだろう。
ここのような結果も、道徳ではおそらく解決出来ない難問に成長するだろう。
若者、青少年の犯罪、非行、自殺、集団暴行などは減らせる、
これが、結論です。
『自分自身を知れ』という個別教育以外に道は無いと思われる。
自分(人間)とはいったい何なのかをはっきりと知る事により、
自分を自分がどのように導くかという道が見えるから、
知っている自分は危ない自分を制御して生きられる。
少なくとも、体力と気力が充実している老化までの期間では可能です。
その後の期間、自殺さえも出来ない老後は、これはもう社会が、国が、自治体が暖かく保護してあげるしか、道はありません。
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